2014年04月06日

トンプソン・サブマシンガン

トンプソン・サブマシンガン





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トンプソン・サブマシンガン




戦時中に生産されたトンプソン M1928A1



種類

短機関銃



原開発国

アメリカ合衆国



運用史



配備期間

1938年–1971年
(アメリカ陸軍)



配備先

米国はじめ各国



関連戦争・紛争

アイルランド独立戦争
アイルランド内戦
バナナ戦争
日中戦争
第二次世界大戦 [1]
朝鮮戦争 [1]
国共内戦
第一次中東戦争
第一次インドシナ戦争
ベトナム戦争 [1]
ボスニア紛争



開発史



開発者

ジョン・T・トンプソン



開発期間

1917年–1920年



製造業者

Auto-Ordnance Company
(オリジナル)
バーミンガム・スモール・アームズ
コルト
Savage Arms



製造期間

1921年–現在



製造数

約1,700,000丁



派生型

Persuader & Annihilator 試作機,
M1921, M1921AC, M1921A,
M1927, M1928, M1928A1,
M1, M1A1



諸元



重量

10.8lb(4.9kg)空の場合(M1928A1)
10.6lb(4.8kg)空の場合(M1A1)



全長

33.5 in (851 ミリメートル)(M1928A1)
32 in (813 ミリメートル)(M1A1/M1)
銃身 10.5 in (267 ミリメートル)
銃身にオプションでCutts Compensatorが付く 12 in (305 ミリメートル)




--------------------------------------------------------------------------------




弾丸

.45ACP弾(11.43×23mm)



作動方式

シンプル・ブローバック方式
ブリッシュ・ロック方式



発射速度

600–1200発/分
(各モデルにより異なる)



初速

285 m/s (935 ft/s)



有効射程

50メートル (160 ft)



装填方式

20発 箱型弾倉
30発 箱型弾倉
50発 ドラムマガジン
100発 ドラムマガジン
(M1とM1A1はドラムマガジンを装着出来ない)


トンプソン・サブマシンガン(Thompson submachine gun)は、アメリカで開発された短機関銃。トムソン銃、シカゴ・タイプライターといった通称を持つことで知られるが、本項ではトミーガンに統一して表記する。

トミーガンは、禁酒法時代のアメリカ合衆国内において警察とギャングの双方に用いられたことで有名になった。1919年から累計170万挺以上が生産され、今日でも製造が続けられている長命な製品である。頑丈な構造を持ち、耐久性と信頼性に優れ、5kg近い重量のおかげでフルオート射撃を制御しやすい特性から、世界各国で広く用いられた。




目次
[非表示] 1 構造
2 開発
3 バリエーション 3.1 M1919
3.2 M1921
3.3 M1923
3.4 M1927
3.5 M1928
3.6 M1928A1
3.7 M1/M1A1

4 普及 4.1 アメリカ
4.2 日本
4.3 中国

5 登場作品 5.1 テレビ・映画
5.2 アニメ
5.3 漫画
5.4 小説
5.5 ゲーム

6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク


構造[編集]

トミーガンを特徴付けているのは、主要部品の多くが角を丸めた直角で構成されている点で、円形を基本に構成される事が多かった欧州の製品とは一線を画したデザインとなっている。これはトミーガンは鋼鉄ブロックからの切削加工で製造され、切削作業の大部分が平フライス加工だけで行えるよう考慮したためである。この結果、大規模な専用生産施設を持たなくても、外注工場の利用が容易で効率よく製作できるメリットがあり、中国やベトナムなど工業水準の低い諸国でも容易にコピー生産が可能となった。

トミーガンは上下2つのレシーバ(機関部)によって構成されており、銃身は上部レシーバ先端にネジで固定され、弾倉が接触する部分はドラム型弾倉を装着するため大きく切り欠かれた形状となっているほか、内部はフライス加工によって大きくえぐられ、この空洞内をボルトが前後する。

弾倉は上部まで露出しているため、野戦では泥などが付着しやすいが、逆に拭い去る事も簡単な構造となっている。箱型弾倉を装填する際には下側から、ドラム型弾倉を装填する際には横からスライドさせて装着し、どちらもレール溝によって支持されている。M1/M1A1(後述)では横溝が省略されてドラム型弾倉が使用できないが、上部レシーバの切り欠きはそのままなので、後から横溝を刻むだけで使用できるようになる。

下部レシーバは複雑な形状ながら、機能的には上部レシーバの下部を塞ぎ、トリガーメカを保持するだけの単純な構造である。上下のレシーバはレール溝によって嵌合し、分解する際に上部レシーバ後端にあるストッパを押し込んで下部レシーバを引き抜く形で分離できる。

セミ/フルオートを切り替えるセレクターと、セフティ(安全装置)は別々のレバー状部品として存在しているが、弾倉を固定しているマガジン・キャッチを含めて、位置は全てグリップ上部左側面にあるため、右利きの射手であれば、グリップから手を離さず全て右手親指で操作する事が可能である。

一般的に「トミーガンは生産性が悪かった」と認識されているが、トミーガンの省力化が図られた1940年代にはM1/M1A1のように、単純な板金曲げ加工とスポット溶接に、バレル・カラーなどの切削部品を組み合わせるだけで、同様の外見構造を強度を落とさず低コストで実現できたため、切削加工を前提とした当時の基準ではことさらに生産性の悪い構造だったとは言えない。しかし第二次世界大戦中には全軍への普及を図るべく、MP40やステン短機関銃などに代表される、より一層と生産性が高い短機関銃が要求され、その結果としてプレス加工主体のM3グリースガンの開発が行われた。

また、携行性をあまり重視しない長く重い銃ではあったが、ちゃんと構えて保持すればその重さが発砲の反動を相殺し、良好な命中精度を発揮した。

開発[編集]





ジョン・T・トンプソン元大佐
1916年、アメリカのジョン・T・トンプソン元陸軍大佐(後に復帰し准将として再度退役する)が設立したオート・オードナンス社において、「塹壕箒」(trench broom)と仮称される自動式小火器の試作が開始された。

この自動式小火器は、塹壕戦で膠着状態となった第一次世界大戦の状況を見て、これを打開できる個人装備の需要予測に基づいて開始され、その動機は純粋に商業的なものだった。

当時の機関銃は巨大かつ重量級の装備であり、軽機関銃といえども兵士が一人で操作できる存在ではなく、機械的な信頼性も低かった。そして機関銃は突撃する兵士に随伴して後方から援護射撃を加える事すら難しかった。しかし、塹壕戦の打開に必要とされていたのは、機関銃で強固に防衛された敵塹壕に対する肉薄および突破であり、これに用いる銃器には兵士が携帯できるサイズ・重量であることやフルオート射撃能力が求められた。

1917年に第一次世界大戦に参戦した米軍でも、塹壕の突破を目的として軍用ショットガンや秘密兵器であるピダーセン・デバイスを量産・装備していた。また、同時期の米国ではジョン・ブローニングによってブローニングM1918自動小銃(BAR)の開発が進められていた他、同時期にはドイツ帝国でも塹壕陣地の突破を任務とする突撃歩兵の為にMP18なる小型機関銃の開発が進められていた。
塹壕戦用小型機関銃
トンプソン大佐が提唱した塹壕箒なる自動式小火器は、1918年に試作されたPersuader(パースエーダー。説得者/言うことを聞かせるものの意) によって初めて具体的な形となった。

Persuaderの給弾方式はベルト給弾式だったが、機関部が砂塵や泥汚れに弱いという欠点があった。そこで、これを箱型弾倉に改めたタイプが1919年に試作され、Annihilator(アナイアレーター。絶滅者/敵を打ち負かすものの意)と名付けられた。

両製品は、ともにブリッシュ・ロック方式と呼ばれる遅延式ブローバック閉鎖機構を持ち、後のトミーガンの基本構成要素を備えていた。

バリエーション[編集]

M1919[編集]
最初の『サブマシンガン』
“Annihilator”が完成する前年に第一次世界大戦は終結していたが、トンプソン大佐は念願の製品化に着手し、精密機器メーカーのWarner & Swasey社が製作を担当した。 [2]

このモデルは後年M1919と呼ばれているが、発売に際して付けられた製品名はThompson submachine gunであり、サブマシンガンの名称が初めて使用された。

サブマシンガンは“小型機関銃”を意味する製品名だったが、後に拳銃弾を使用するフルオート火器を総称する呼称として、世界的に使用されるようになった。

M1919は.45ACP弾、.22LR、.32ACP弾、.38 ACP、9x19mmパラベラム弾など各種の弾薬用に製造され、照星や銃床を持たないなど、デモンストレーション用/テスト用としての色彩が強い製品だった。トミーガンの特徴となった垂直フォアグリップは銃身下部に装着され、安定したフルオート射撃が可能だったが、連射レートは1,000発/分程度と高速だった。

1920年4月に行われた軍の採用テストでは、2,000発の発射に対し動作不良は2回のみ、という好成績を残したが、大戦を終えた米陸軍は軍縮に向かっており、M1919が採用される事はなかった。軍用としての見込みが無くなった事から、トンプソン大佐は販売先を警察に切り替え、40挺ほどがニューヨーク市警察によって購入された。

M1921[編集]
民間市場での成功と知名度の獲得




トンプソン自動小銃(上)とM1921




「強盗が一番恐れる銃」と記された1920年代の広告
M1921は、M1919に改良を加えた量産タイプの製品であり、民間市場向けに「手軽にフルオート射撃を楽しめる“スポーツ用途”の銃」として販売が開始された。

1921年当時の販売価格は20発箱型弾倉付きで$225(現在の価格に換算[3]して$2,600程度)であり、製造はコルト社が担当し、15,000挺ほどが生産された[2]。

富裕層向けの高級玩具としての色彩が強い製品であり、木部は美しく仕上げられ、各部品は高精度な切削加工で製造されていた。 弾倉は20発/30発箱形弾倉のほかに50発用ドラム弾倉が用意され、連射レートは800発/分程度まで落とされていた。

1926年からは銃口部にCuts Compensatorと呼ばれるマズルブレーキの一種がオプションで装着できるようになり、フルオート射撃時のコントロールはより安定した[4]。

なお、最初にM1921の大口顧客となったのは、米国のアイルランド系移民の独立運動支持者達と考えられており、製造番号が1,000番未満の初期生産品が英領アイルランドで発見されている。これらのM1921はIrish Swordと呼ばれ、後のアイルランド内戦では主に反条約派によって使用された[5]。

また、当時頻発していた郵便強盗対策のために、米国郵便公社もM1921を400挺購入した。同公社が購入したM1921は、郵便警護を分担した海兵隊にも供与されたが、海兵隊はこれをバナナ戦争での軍事行動に転用した。

しかし、当時のM1921は民間人(この中にはトミーガンを有名にしたマフィア達も含まれていた)を主な購入者としており、1934年に規制されるまで購入に何らの制約も無く通信販売でも購入できたため、バナナ戦争における交戦相手のサンディーノ軍(ニカラグア)も、海兵隊と同様にM1921を装備していた。

M1923[編集]
強装弾薬の試行
トンプソン大佐が想定していた小型機関銃のコンセプトは小銃弾を使用するものであり、M1921に使用された.45ACP弾(480J)のパワーと、有効射程が50ヤードしかなかったM1921の射程は、軍用として力不足なものだった。

しかし、ブリッシュ・ロック方式の閉鎖機構は、その主要部品に真鍮製のロッキング・ピースを用いており、強烈な腔圧を発生させる当時のフルサイズ小銃弾には不向きな事が判明していたため、.45ACP弾の薬莢長を3mm延長して威力を増大した.45 Remington-Thompson弾(1,590J)が新規に開発され、これを用いるM1923が試作された。

.45 Remington-Thompson弾は.45ACP弾の3倍ものエネルギーを持ち、後に開発された.44 Magnum弾に近いパワーを有し、至近距離で杉板15枚、300ヤードで8枚を貫通したとされる[4]。 .45 Remington-Thompson弾はテストの結果.45ACP弾よりも精度が悪い事が判明し、市販されずに終わった。

M1923はM1921より約10cm銃身が延長され、軍用に適した水平フォアグリップが装着されていたほか、強くなった反動を制御するために連射速度は400発/分程度まで遅延されていた(参考画像) 着剣装置が付けられたタイプや、二脚を付けた軽機関銃タイプも試作されて米軍向けのプレゼンが行われたが、既にBARが採用されていた事もあり、採用には至らなかった。そのスタイルは後の軍用モデルであるM1928A1やM1/M1A1へ継承された。

M1927[編集]
セミオート・バージョン
M1921は当時数少ないフルオート火器だったため、慣れない射手が引き鉄を引き続けて銃口が跳ね上がり、制御不能となって意図せぬ方向を撃ってしまう事故が発生する事があった。このためM1921からフルオート射撃の機能を削除し、セミオート・カービンとした製品が要望され、M1927が製造された。

M1927はM1921を改造して製造されたため、M1921の刻印である“Thompson Submachine Gun”を一部削り取り、“Thompson Semi-Automatic Carbine”と改めて打刻し直されている。

M1927はM1921とほとんど同じ製品であるため、簡単にフルオート射撃の機能を復活させる事ができたが、1934年の連邦法改正によるフルオート火器の所持規制以降も民間人が無許可で購入できるトミーガンとして製造され続けた。ただし、1982年以降、オープンボルト撃発火器は、フルオートへの改造を前提とした火器と見なされるようになったため、現在では所持制限の対象となっている。

また、トミーガン用の100連ドラム弾倉はM1927と同時に販売されるようになった。

M1928[編集]





トンプソンM1928を持つイギリス兵(1940年) 正規軍に採用された軍用モデル
マスコミへの露出でM1921は実態以上に有名となったが、製造メーカの“Auto-Ordnance Corporation”社の経営は悪化し、破産の危機に直面していた。これを救ったのは、M1921の連射レートを700発/分まで下げた軍用モデルのM1928であり、500挺ほどが製造され米海軍・海兵隊に採用された[2]。

その後、第二次世界大戦が勃発すると同モデルは仏軍・英軍・スウェーデン軍に採用され、仏軍は3,750挺のM1928と3,000万発の弾薬を発注した。英軍ではコマンド部隊などがこれを使用したことで英兵の通称トミー(Tommy)に由来する“トミーガン”の愛称が付き、以降の代名詞となった。

M1928の納入価格は1939年頃で$209(現在の価格で$3,100程度[3]・希少品となった現在では$20,000前後で取り引きされている)だったとされ、“Auto-Ordnance Corporation”社の経営状態は好転した。

M1928A1[編集]
米軍向け改良モデル
欧州で第二次世界大戦が始まるまで、米陸軍で使用されていたトミーガンは400挺にも満たなかったが、大戦勃発と共に当時は未だ参戦していなかった米軍もM1928の大量調達を図り、軍用として試作されたM1923に近いフォルムを持つM1928A1が製造された。

M1928A1は米軍および英・仏・中といった諸国への援助兵器として総計562,511挺が生産され、量産効果により1942年春には$70(現在の価格で$880程度[3])まで調達コストは下がった。

M1/M1A1[編集]
戦時省力生産モデル




M1A1




M1を射撃するアメリカ海兵隊員。1945年5月、沖縄戦での撮影
詳細は「トンプソンM1短機関銃」を参照

トミーガンは切削加工を前提としたデザインであり、プレス加工を活用した大量生産には再設計が必要だったが、大幅な構造の変更はなされないまま、省力化と操作性向上のために幾つかの改良が施されたM1型が1942年に採用され(ステン短機関銃タイプの鋼板プレス製M3グリースガンも同年に採用された)、1943年末からSavage Arms社で大量生産が開始された[2]。

M1に採用された簡易化は、
工数がかかり信頼性も低かったブリッシュ・ロック式閉鎖機構の替わりに、ボルトの重量を増やしてシンプル・ブローバック方式に変更された。
銃身に装着されていたコンペンセイターや放熱フィンが廃止された。
ストックの固定法が直接ネジで止める方式に変更された。
ドラム弾倉装着用の横スリット溝が廃止された。
コッキングハンドルを上面から右側面にずらした。

といったもので、M1はM1928A1の半分の時間で製造され、調達コストは$45まで低下した。しかし、当初は供給が追いつかなかったため、レイジングM50など他のサブマシンガンで不足分を間に合わせていた。

1944年には簡素化が更に進められて撃針をボルトに固定し、照門(リアサイト)の側面に三角形の保護板を付けたM1A1が採用された。

M1/M1A1は累計で138万挺製造され、第二次世界大戦を通じて米軍でもっとも多く使用されたサブマシンガンとなり、主に下士官や戦車兵、空挺兵に対して供給された。米軍内では1976年頃まで予備兵器としてトミーガンが装備されていたほか、現代に至るまで様々な地域紛争で使用されているのが確認されており、その堅牢さから今後も使用され続けるものと考えられている。

普及[編集]

アメリカ[編集]





1932年の映画『暗黒街の顔役』でマフィアを演じるポール・ムニ
禁酒法の恩恵で急成長を遂げていた米国のマフィアが襲撃兵器としても防御用兵器としても優れていたトミーガンに注目し、抗争などで使用したことがトミーガンの知名度を飛躍的に高めた。

ギャング間の抗争事件は当時のマスコミの格好の題材であり、こうした事件が“再現フィルム”的に映像化されたハリウッド製作のギャング映画によって、トミーガンの存在は“マシンガン”の呼称とともに世界中に知れ渡り、トミーガン=機関銃という認識が広く定着するなど、実態以上に強い印象をもって記憶されており、寿司桶のようなドラムマガジンを装着したトミーガンの姿は“Roaring Twenties”(狂騒の20年代)を演出した歴史上重要なアイテムとして認識されている。

一方で、マフィアなど犯罪者達を取り締まってきたFBIにおいては、トミーガンが草創期の重要な火器だった事もあって、現在でも象徴的な意味を含めて継続して使用されており、同局舎における見学者向けのデモンストレーションでは、射撃教官によるトミーガンを用いた射撃が披露され、教官が標的上に自分の名前を弾痕で刻んで見せるのが通例となっている。

日本[編集]

日本においては、トンプソンサブマシンガンの存在は米国の映画を通じて広く知られており、海軍陸戦隊の近接戦闘用兵器としてMP18と比較検討 [6] されていたほか、陸軍の兵士達も中国各地で多数のM1921/M1928を鹵獲 [7] し、シンガポール占領で英軍から鹵獲されたトンプソンサブマシンガン600丁が、パレンバン作戦後に陸軍落下傘部隊に支給されたとも伝えられている[8]。

また、フィリピン占領時にはトンプソンサブマシンガンやM1ライフルを始めとする各種の米製兵器が大量に鹵獲され、現地の日本兵達はこうした米製兵器を好んで使用していた事が伝えられているほか、日本内地でこれら鹵獲火器に対する性能試験が実施され、その一部は準制式とされている [9]。

敗戦後の1950年に発足した警察予備隊に対しては、米国からM3グリースガンと並んで供与され、“サブマシンガン”の訳語として「短機関銃」という言葉が作られ「11.4mm短機関銃M1」として制式化された。

その後も保安隊-自衛隊において継続して装備され、陸上自衛隊では1970年代まで使用された他、海上自衛隊及び航空自衛隊では1990年代に入っても少数ながら現役として装備されていた。2010年代の現在においても、陸海空3自衛隊において“予備装備”として保管されている模様である。

中国[編集]

軍閥間の内戦が続いていた中国では軍民ともにM1921の人気が高く、山西省を支配した閻錫山の軍閥ではM1921のコピー品が生産され、モーゼル軍用拳銃をM1921の弾薬に合わせて.45ACP弾化した独自製品まで出現した。 また、各地で跋扈する匪賊の襲撃を撃退する効果的な兵器として、富裕な地主や帰国華僑 [10] なども、手頃な価格で強力な防御能力を発揮できるトンプソンサブマシンガンを用いていた。

中国に大量に存在したトンプソンサブマシンガンとコピー工廠は、国共内戦の終結と共に中国共産党の手に渡り、朝鮮戦争では米軍も中国軍も共にトミーガンを装備して戦っていた。その後のインドシナ戦争においてもベトミン/ベトコン勢力やビン・スエン派などがトンプソンサブマシンガンを使用していた事が知られているほか、南ベトナムではこれをコピー生産していた勢力があった事も知られている[2]。

登場作品[編集]

「ギャングが使用する危険な武器」「アメリカ軍の象徴」と捉えられる本銃の背景から、第二次世界大戦やギャングを題材とした作品によく登場する。

テレビ・映画[編集]
『L.A. ギャング ストーリー』
ギャング側がドラムマガジン付きのM1928、終盤ホテルの銃撃戦ではオマラ側がM1A1を使用。 『アサルト13 要塞警察』
警察側が使用。 『アンタッチャブル (テレビドラマ)』、『アンタッチャブル (映画)』
ネス、マローン、ストーン、ウォレス、また、その他ギャングが使用。 『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』
上海でギャングが使用。 『俺がハマーだ!』
21話に登場。 『ロード・トゥ・パーディション』
『ガルシアの首』
『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』
M1928及びM1928A1が登場。前者は劇中映画でマスコット時代のキャプテン・アメリカが使用。後者は一部の主要人物及び、その他米軍兵士と共に多数登場し、実戦参加後のキャプテン・アメリカが携行しているシーンも少しだけある。 『チェ 28歳の革命』
『パブリック・エネミーズ』
至るところで登場。 『ドキュメンタリー』
失われた世界の謎シリーズ 第25回『アル・カポネの暗黒の街』(ヒストリーチャンネル) 『SFドラマ 猿の軍団』
ゴードが愛用する銃。銃口に撮影用火薬の発火装置を追加したため、銃身がやや長くなっている。 『コンバット!』
ヴィック・モロー扮するサンダース軍曹の装備として登場し、彼のトレードマークになっていた。M1928A1が撮影に使われている。 『戦略大作戦』[11]
ケリー中尉とビッグ・ジョー曹長の他、彼らが率いる小隊のメンバーがM1A1を使用している。 『ゴッドファーザー』
マフィア映画の代表作と言われる本作のマフィアが使用し、多数の銃撃シーンや暗殺シーンで使用されている[11]。なお、ソニー・コルレオーネが乗る車の両側から蜂の巣状に銃撃されるシーンでは、日本製のモデルガンが使用されたと噂されている[11]。 『プライベート・ライアン』
ジョン・H・ミラー大尉が愛用している。 『バンド・オブ・ブラザース』
後にE中隊長となるスピアーズ中尉ほかが装備。 『ウインドトーカーズ』
ニコラス・ケイジ扮するジョー・エンダース伍長がドラム弾倉付きのM1928A1を使用。 『マスク』
マスクを被ってハイテンションになったスタンリーが路地裏でドラムマガジン付きのM1921を乱射。 『遠すぎた橋』[11]
アメリカ軍兵士が主に使用。 『史上最大の作戦』
アメリカ軍レンジャー部隊が使用。 『ザ・パシフィック』
第1海兵師団の隊員が使用。 『ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝』
リック・オコーネルが使用。 『ゾンビ』
略奪者のメンバーの一人が使用。 『謎解きはディナーのあとで』
『太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-』
M1A1をサイパン島に上陸したアメリカ海兵隊の兵士と鹵獲した物を旧日本軍の堀内一等兵が使用。 『沈黙の逆襲』
銃の組み立てを行うシーンで机に置いてある。
アニメ[編集]
『ルパン三世 霧のエリューシヴ』
ノース家の兵達が使用。 『神のみぞ知るセカイ』
『ストライクウィッチーズ』
主要人物の一人 シャーロット・E・イェーガーが使用。 『ジパング』
ガダルカナルにおいて米兵が使用 『うぽって』
『ゆるゆり♪♪』
12話で池田千鶴が2丁使用。フォアグリップがついていない。 『ドラえもん』
ドラえもんが使用。
漫画[編集]
『ジョジョの奇妙な冒険』
Part2戦闘潮流でジョセフがストレイツォに対し使用。 『ワイルド7』
ユキ、飛葉が使用。M1928。モデルガンと見せかけて実は実銃。実写版では最終的にメインアームになっている。 『クロノクルセイド』
ロゼット・クリストファが特殊弾「聖火弾」を装填したドラムマガジンを装着して使用。 『DOGS/BULLETS&CARNAGE』

小説[編集]
『スティーヴン・ハンター』『悪徳の都』
主人公のアール・スワガーがトミーガンの名手で、スワガーが率いる違法カジノ摘発部隊の標準装備がコルト・ガバメントとトミーガンである。 『ラプラスの魔』
草壁健一郎がモーガン奪還のため仲間と共に異世界に強襲した際に使用。
ゲーム[編集]
『カウンターストライクオンライン』 (Windows用ゲーム)
課金武器として登場。 『OPERATION7』
『Paperman』 (Windows用ゲーム)
TOMMY GUNの名称でM1928が登場。但し、連射速度が低く設定されている。 『Alliance of Valiant Arms』
カプセル商店で販売。ポイントマン武器であり、使用者は少ない。 『バイオハザード4』
シカゴタイプライターの名でM1A1が登場。 『バトルフィールド1942』
『メダルオブオナーシリーズ』
『Mafia: The City of Lost Heaven』
『Mafia 2』
『L.A.ノワール』
『HIDDEN & DANGEROUS 2』 (Windows用ゲーム)
『メタルギアソリッド3』
ザ・ペインが使用している。 『メタルギアソリッド ピースウォーカー』
マザーベースで開発可能。 強化によりグリップがつく。 『コール オブ デューティシリーズ』
『スナイパーエリートV2』
『Wolfenstein: Enemy Territory』 (FPS)
『VIETCONG: ベトコン』 (Windows用ゲーム)
『Deadly Dozen』 (Windows用ゲーム)
『Fallout: New Vegas』
DLC「Honest Hearts」にて『.45オートサブマシンガン』(.45 Auto Submachine Gun)の名称で登場。また、光線銃『レーザーRCW』もトンプソンをモチーフとしている。 『ブラザー イン アームズシリーズ』 (Windows,PS2,Xbox用ゲーム)
『BIOSHOCK』 (Windows,Xbox360用ゲーム)
『ゴッドファーザー』 (Xbox360,PS3,PS2用ゲーム)
『ゴーストトリック』
カノンが使用している。 『THE 歩兵 〜戦場の犬たち〜』
『クラッシュ・バンディクー』シリーズ
ピンストライプが使用している。 『戦場のカルマ』
ゲーム内通貨で購入可能。 『クトゥルフの呼び声 (TRPG)』
同テーブルトークRPGの基本セットの中に『トンプソン式サブマシンガン』の名称で登場。マシンガンの弾丸1発当たりのダメージは1d10+2で1戦闘ラウンドで弾倉の中身を空にするまで撃つ事が出来るため同ゲームで非常に強力な武器となっていた。 『WarRock』
「Chicago Typewriter」の名称で登場。 『怪盗ロワイアル-zero-』
トミーガンの名称で登場。
脚注[編集]


1.^ a b c Bishop, Chris. Guns in Combat. Chartwell Books, Inc (1998). ISBN 0-7858-0844-2.
2.^ a b c d e "The world's submachine guns"
Thomas B Nelson, T.B.N. Enterprises, 1963,
ASIN: B0007HVRYY
Prototype to 1919 Warner & Swasey
Models 1921 to 1928 Colt
British made guns B.S.A.
1928A1 & M1 series Auto-Ordnance & Savage
Unlicensed copies China & Viet-Nam
3.^ a b c The Inflation Calculatorから換算
4.^ a b THE THOMPSON SUB-MACHINE GUN, Philip B. Sharpe
5.^ Ireland's History Magazine "Thompson submachine-gun"
6.^ Refcode:C05021291500 『第3530号 5.10.29 兵器貸与並に供給の件』 海軍砲術学校 海軍省公文備考 昭和5年10月29日 横鎮長官 「昭和5年10月21日起案 昭和五年十月二十九日 大臣 横鎮長官宛 兵器貸与並ニ供給ノ件訓令 官房第三五五〇号 横須賀海軍軍需部ノ在庫ノ左記兵器ヲ実験用トシテ昭和六年六月末日迄海軍砲術学校ニ貸与並ニ供給方取計フヘシ 記 トムソン自動拳銃 附属品共 一挺 内砲第一二三六号 @支ノ為貸与 仝 弾薬包 五〇〇個 内砲第一二三七号 @支ノ分供給 (終)」
7.^ 陸軍省大日記 大日記乙輯昭和13年 陸軍技術本部 昭和13年3月〜4月 「軍事、防、主 参第三五三号 陸軍技術本部 押收兵器下付ノ件 昭和13年3月26日 昭和13年4月6日 陸支密 陸軍技術本部長ヘ指令 3月25日附陸技本甲第一六三号申請ノ通認可ス 陸支密第一〇四四号 昭和13年4月4日 陸支密 陸軍兵器本廠長ヘ達 別紙ノ通審査ノタメ陸軍技術本部ニ下付方取計フヘシ 但シ費用ハ臨時軍事費支弁トス 陸支密第一〇四四号 昭和13年4月4日 官房控 別紙 兵器本廠 七粍九捷克歩兵銃 東京兵器支廠保管ノモノ「図書共」 七粍九車筒歩兵銃 以下同シ 各種押收ヤ銃 各種挙銃 自動短銃 各種歩兵銃 テルニ歩兵銃 露式七粍七歩兵銃 トンプソン自動短銃 ブリンデ歩兵銃 各種ヤ銃々身 チエッコ軽機関銃」
8.^ 『陸軍落下傘部隊戦記 あゝ純白の花負いて』 田中賢一著 学陽書房 1976年 P130~131
9.^ 昭和19年2月に作成された大日本帝国陸軍の資料中では、米軍が装備するサブマシンガン(日本陸軍では“機関短銃”と呼んだ)について、トンプソン機関短銃、ライジング機関短銃、M3機関短銃の3点が、鹵獲された米軍資料から転載したと思しきイラスト付きで紹介されている Refcode:A03032193600 『米軍銃器火砲一覧表』 陸軍兵器行政本部 昭和19年2月20日
10.^ 1930年代に福建省に潜伏したタン・マラカは、インドネシアから帰国した客属華僑と知り合い、その下に一時身を寄せていたが、匪賊による襲撃の噂が流れたため、これに備えて華僑の一族がトンプソンサブマシンガンなどの各種火器を準備して迎撃準備に努めていた事を記しており、当時の中国国内でトンプソンサブマシンガンは比較的身近な存在だった事が伺える 『牢獄から牢獄へ - タン・マラカ自伝』 タン・マラカ 著 押川典昭 訳 鹿砦社 1981年7月
11.^ a b c d HEROS Gunバトル ヒーローたちの名銃ベスト100. リイド社. (2010-11-29). pp. pp.190-191. ISBN 978-4-8458-3940-7.
トンプソン・サブマシンガン





Posted by テキサスビル  at 16:16 │Comments(0)
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