2014年04月22日

ワイアット・アープ

ワイアット・ベリー・スタップ・アープ(Wyatt Berry Stapp Earp、1848年3月19日 - 1929年1月13日)は、アメリカ西部開拓時代の保安官。




目次
[非表示] 1 生涯
2 OK牧場の決闘
3 ワイアット・アープを主人公とした作品 3.1 映画
3.2 TV映画

4 関連項目


生涯[編集]

イリノイ州生まれ。20歳のころバッファロー狩りで生計を立てガンマンとして有名になった。1870年、ウリラ・サザーランドと結婚・死別後、1875年にはカンザス州ウィチタの保安官事務所で働いていたが、1876年4月、仲間と口論して解雇された。1878年、やはりカンザス州のフォード郡ドッジシティで新たに保安官事務所に勤務し、1878年、保安官チャールズ・バセットの下で保安官助手に任命された。

1879年9月にやり方の荒っぽさからドッジシティを追放され、アリゾナ州のトゥームストーンに移り住み農業のかたわら賭博場の胴元、売春宿の経営者になった。3か月後、兄のヴァージル・アープがトゥームストーンの保安官に就任した。

1881年、アープ兄弟はクラントン兄弟をはじめとするカウボーイズと呼ばれる土着の牧童達と、「OK牧場の決闘」と呼ばれる事件を起こす。(詳細については、下記を参照のこと)

晩年ロサンゼルスに定住し西部開拓時代の伝説的な生き証人となり、親交を持った映画監督のジョン・フォードの西部劇製作に影響を与えた。

1929年1月13日、ロサンゼルスにて膀胱炎で死去。80歳。

ワイアット・アープは、映画などでバントライン・スペシャルと呼ばれる拳銃(作家ネッド・バントラインがアープに贈ったとされる、コルト・シングル・アクション・アーミーの銃身が非常に長い特注モデル)を使っている場合がある。しかしこれは伝説で、本当に使っていたかどうかは定かではない。

OK牧場の決闘[編集]

1881年、アープ兄弟は、クラントン兄弟をはじめとするカウボーイズと呼ばれる土着の牧童達(牛泥棒などの不法行為をもっぱらとしていた)と対立を深めていた。

10月26日、「フライ写真館の隣にある空き地から、フリモントストリートに出たあたりで、カウボーイズが銃を所持しているので、武装解除するべき」との市民の忠告を受け、バージルは、ワイアット、モーガン、友人のドク・ホリデイと共に彼らを武装解除するべく出かけたが、撃ち合いとなり、カウボーイ組5名中3名を射殺した。世に言うOK牧場の決闘である。

決闘後、アープ組は殺人罪で起訴されたが、全員無罪となった。この判決を受け、カウボーイズはバージルとモーガンを闇討ちし、バージルは腕を、モーガンは命を失う。その後、ワイアットはモーガン殺害の実行犯と見られたフランク・スティルウェルをツーソン駅構内で殺害したと言われている。この事件によってカウボーイズ派の郡保安官ジョン・ビアンにより逮捕状が出され、ワイアットはカウボーイズの追及を受けることとなる。一方ワイアットも連邦保安官助手の資格を得ており、保安官同士が互いを付け狙いあうという異常事態となった。

結果として、カウボーイズのリーダー格のカーリー・ビル、リンゴ・キッドが殺害され(アープ組が殺害したと見なされているが事実は不明)、ワイアット、ドク・ホリデイはコロラドに逃走して一連の事件は終息する。

ワイアット・アープを主人公とした作品[編集]

映画[編集]
荒野の決闘(ジョン・フォード監督、1946年、演:ヘンリー・フォンダ)
OK牧場の決斗(ジョン・スタージェス監督、1957年、演:バート・ランカスター)
シャイアン(ジョン・フォード監督、1964年、演:ジェームズ・スチュアート)
ワイアット・アープ(トゥリオ・デミケリ監督、1964年、演:ガイ・マディソン)
墓石と決闘(ジョン・スタージェス監督、1967年、演:ジェームズ・ガーナー)
ドク・ホリディ(フランク・ペリー監督、1971年、演:ハリス・ユーリン)
キャデラック・カウボーイ (ブレイク・エドワーズ監督、1988年、演:ジェームズ・ガーナー)
トゥームストーン(ジョージ・P・コスマトス監督、1993年、演:カート・ラッセル)
ワイアット・アープ(ローレンス・カスダン監督、1994年、演:ケヴィン・コスナー)

TV映画[編集]
保安官ワイアット・アープ(ウィリアム・A・グレアム監督、1994年、演:ヒュー・オブライエン)
ワイアット・アープ





Posted by テキサスビル  at 19:11 │Comments(0)
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